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小学生のころの息子の約束はとてもあいまいでした。
「遊ぶ約束した」と言っても、
「どこで、何時に」が抜けていて、どうにもならないことがあります。
息子が小学生のとき、何度か「遊ぶ約束をすっぽかされた」と怒っていたいことがありました。
それは、本当にすっぽかされたようだ、と判断できるものもあれば、息子の約束の仕方が良くないこともありました。
それはもう、ズバリ「学校終わったら遊ぼう!?」「うん、いいよ」だけ!みたいな約束。
これじゃあ、自分も相手もどこで集合したらいいのか分からなくなってしまいます。
中学をまもなく卒業するいま現在はどうでしょう?
じつはまだこんな感じの約束をしているのです。
「土日、卓球いかない?」「いいよ」以上終了。
って言う約束。
結局、こちらが「土日のどっち?何時?どこで?」と聞くと、「わかんない」と返ってきて、何故か親の方が焦る💦
放っておけばいいのに、心配になって電話させる。
我ながら過保護が過ぎる。
あいまいな約束の理由
なんでこんなあいまいな約束ができるのか不思議だったのですが、
息子が携帯を持ったいま、なんとなく理由がわかって来ました。
理由は主に三つ。
①自分の予定を把握していない。
②当日の気分で決めたい。
③あいまいにしておけば断るのが楽。
息子の周りの子は、自分の予定を把握していない場合が多いようです。
土日のクラブの時間すら、親に聞かないと分からない子もいるようで、当日になってみないと空いている時間がわからない。
だから、前もっての予定は立てづらい。
また、前日にゲームなどで夜更かししてしまうと、その日はぼーっとしてしまい、外に出るのが億劫になってしまう。
そのため、約束をなかったことにしたい。
最後は、本当はやりたいなかったけど、面と向かって断るのは気が引けるので、電話やメールでの方が断るのも気が楽だという考えがあるらしい。
これが携帯のない昔だったら
時間も場所もはっきり決めていたし、都合がいいか悪いかを自分で決めていたかも。
そもそも予定がわからないくらいに忙しくはなかったし、土日は部活なのが普通だった。
部活をしていることが多かったから、約束をするのは特別に部活がない日だけ。
だから、迷うことも少なかったし、遊び場所はだれかに家が多かった。
かなりの田舎に住んでいたせいもありますが。
遊び場は、誰かの家か、学校。
思いっきり余談ですが、わたしの通った小学校も中学校も、校門は柱だけでした。
動くフェンス??みたいなのはテレビのなかでしかみたことがありませんでした。
だから学校の敷地内には24時間365日、だれでも入れます。
さすがに校舎内には入れませんでしたが。
これからの約束
約束の重さが変化したことは、きっとみなさんが感じ入るはず。
過去と現在でもこんなに変わってきて、未来の約束ってどうなるんでしょう?
もしかして、口頭での約束はなくなるのかなぁ?
遊ぶ約束はメールで依頼。 カレンダーアプリの出席依頼みたいな。イエスかノーを返事。イエスだったらカレンダーに登録されて、場所も時間も決まってて、その予定どおりに行動すればいい。
または自分がいるところを表示して、遊べる人集合!とネットで流すと、ネッ友が集まって遊べる、とか?
そういえば、そもそも集合して遊ぶのは、リアルの世界とは限りませんね。
すでに最近の小中学生が集合して遊ぶ場所は、オンラインのゲームフィールドでした。
「今日、何時に〇〇ね。」の〇〇はゲームフィールドの中の目印。リアルでは集合して遊ぶ暇のない子供たちは、ゲームの中で集まって遊んでいます。
または、友達だけのパスカードを作って、そのパスコードを共有している人だけで遊ぶ。
いまはゲームもボイスチャットがあるから、直接会わなくてもおしゃべりを楽しめるんですよね。
心配なこと
オンラインでの遊びになると、ますます大人は子どもたちの行動を把握できなくなってしまいます。
これは親からしたら、心配なところですよね。
でももし、中国のアリババが提供している信用スコアが採用されたら、オンラインでのおかしな行動は制限されてくるのかもしれません。
アリババグループの信用スコアでは、スコアが高い人ほど有利なサービスが提供されるそうですから。
おかげで、ネット上の治安も劇的に改善したという話もあります。
サービスが良くなるのは嬉しい反面、この信用スコアって、ものすごく怖いです。
どこに行って何をしたか、が他人に把握されやすくなったり、信用スコアで多くことが決まってしまいそうだからです。
アニメのPSYCHO-PASSを思い出してしまいます。
個人の仕事や結婚も、犯罪の可能性についてもすべてをシビュラシステムというものに決められてしまう世界。
一度でもシビュラに「犯罪の可能性が高い」と判断されたら、もう社会復帰は絶望的です。
このPSYCHO-PASSの世界に現実は近づいているように感じます。
でも、この考え方こそ、ビフォアデジタルなのかもしれませんね。
参考文献