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ポテトサラダのつぎは餃子らしい。
つい先日、Twitterでポテトサラダについて論争になっていたらしい。
若いお母さんに「ポテサラくらい自分で作れ、なることを言い放ったおじさんがいて、それを見聞きした投稿者は、若いお母さんの前でポテサラを二皿買っていったらしい。
そして昨日テレビでは、冷凍餃子を出したら「手抜きだ」と言っただんなさんのことが話題になっていた。
ポテサラは洋食。餃子は中華。
こんなに多種多彩な料理が家庭料理としてあるのは、珍しいのではないだろうか?
いや、他国の家庭料理事情に詳しいわけではないけど。
そして、それだけでは食事のバランスがよくないから、ごはん、みそ汁、そしてもう一品は作らないと。なんて、大変なんだ。
サラダなら「野菜切っておわりでよいではないか」とか、「ポテサラは炭水化物多めだからごはんなしでいいよね」とか言いたいことはいろいろある。多分、日本中のだれもがひとこと言いたいだろう。それは生活様式とか、好み化とか、人それぞれなのに、自分が正しいと勘違いして自分の主張を押し付けるひとがいるからだ。
言いがかりだけど、こう聞こえますよ?
いつだったか、一億総活躍なんて話がでて、なんて無謀なことを言い出すんだろう、と思った。
というのも、女性に「子供を産め、子育てしろ、良妻賢母であれ、介護をしろ、そして、働け。」と言っているように聞こえたからだ。
外で働こうにもこどもの預け先がない。親の介護をしてくれるところがない。
病院はいっぱいで見てくれるところがすくないし、どこも混んでて一日がかり。
どんなに疲れていたって、ごはんは手作りじゃないと!極めつけは少子化なんだから、議員に立候補しないで結婚してこどもを産め。
当然、たった一人がすべて主張しているわけではないから、これははっきり言って言いがかりの類になるけれど、いったい全体、どこを重視していけばいいのだろうか? とは思う。
これはもう、親と同居して田舎に帰れという話なのかな?
理想たかすぎませんか?
結局のところ、日本人の理想とする家庭料理はレベルが高すぎて、小さいお子さんのいるご家庭や、共働き、介護なんてやってたら、到底こなしようがない。ということだけは確かだ。
うちも餃子はみんなが好きだ。義母さんは除くけども。
ちなみに、一度、皮から作りたいと思って、お休みだった夫君に手伝ってもらったところ「市販品の皮のようにならない」と、何度も何度もやり直してた。
そもそも材料が違うんだから、市販品を目指したところで同じになりようがないんだけど。
わたしはただ、もちもちした皮の餃子が食べたかったのだ。が、まったく思い通りにはいかなかった。夫君が目指したのは、ぱりぱりのうすい皮だったから。
これを経験したわたしは、二度と皮から作ろうなんて思わない。
それに、一人で餃子を作ろうとするなら一時間は余裕で台所にいなければならない。
子供たちや夫君がテレビを見ながらくつろいでいても、ひとりで延々台所。
食事は極力手作りで365日×3食作るのを目指すなら、餃子はぜったい買うものだ。うん。
旦那さんに対して「申し訳ない」と言う気持ちがあるから、「手抜き」と言われて腹がたつのかも。 手抜きということに罪悪感を覚えるのは、自分も理想が高い可能性もある。
わたしはというと、若いころなら「申し訳ない」気持ちになったかもしれないが、今は大変なものはたいへんと言ってしまう。夫君がもし「冷凍」ということに難色を示して来たら、
手作りの餃子も美味しいよねー。
わたし、味付けと焼くのやるから、
材料切るのと包むのやって💕
と返そうと思う。
まあ、餃子が食べたいひとは必ず包むのをやる、のが我が家のルールなので、この返しは役に立つことはない。
息子は、
帰ってきたときおかずが餃子だとテンション上がるけどねー。
しかも、焼き上がってたら最高!!包まなくていいから。
と言っていた。
包むの地味に大変なんだよね。
息子がひとこと。
「そもそも、相手のやっていることは楽に見えるんだよね。」
それは当然、やったことがないからだよね。
この「冷凍餃子事件」に類似の事件の数々は、家事をしたことのない男性が起こすことがほとんどだ(偏見だけど)
夫君もそうだけど、父親が家事をしていない姿を見て育つと、こどもの教育は大変になる。自分がやっていることだけが大変で、パートナーの大変さを慮ることができないからだ。
ごみを捨てないむすこだけど、餃子の大変さが分かる分、すこしは家事について理解ができている、と思いたい・・・。
むすこはまだまだ発展途上だけど、通学に時間を取られているのをみると、どうしたものか、と思案に暮れてしまう。
いや、それよりもむすめの教育にちからを注ぐべきか?
今日はむすめがポテサラを作ってくれるらしい。(できるのかわかんないけど)
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