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もしかりに学生時代にこの言葉を知っていたら、
今とは違う生き方をしていたかもしれない。
いや、案外変わらなかった可能性も否定できない。
いまだからこそ、響く言葉なのかもしれない。
しかし、もっと早くこの言葉に触れて、真剣に考えていたなら、
もしかしたらこんなに悩むことなく人生を送っていたのかもしれない。
それも可能性であって、いつも「突き詰めて考える」ことができない性格なので、もしかしたら、いつもどおり「ま、いっか」で終わっていた可能性もある。
先日、とある親戚の家に行った時のこと。
そこのおうちには、中学三年のときに英検二級に合格した才女がいました。
現在、高校一年生。
むすこと同い年です。
幸い?息子は不在だったので、比べられてどうこう、というのはなかったのですが、
世のシニアは暇らしく、この才女が「将来何になるのか」と言うのを勝手に想像し始めたのです。
むかしむかし、私の将来について勝手にアレコレ言ってきた親戚に面倒な気持ちになったことや、むすこの進学先についてどうこう言ってくる祖父母に対して、嫌になっていたことを思い出し、非常に面倒な気持ちになったのでした。
とある研究によると、今年生まれた赤ちゃんが将来つく職業の六割は、今現在まだ存在していないものだそうです。
つまり、高校一年生の女の子は、もしかしたら今現在ない職業につく可能性もあるわけです。
なのに周りの大人が、「新型コロナだからキャビンアテンダントはやめた方がいい」とか「いま英語を使う仕事は(就職が)むずかしい」とか、勝手に想像してダメだしするのはありえないとおもう。
こちらから言わせると、しらない職業につくかもしれない高校生の将来のことより、ボケないための戦略を聞きたいわけです。
もう残り時間が短いとわかっている人たちの方が、
時間があるはずの人間よりも時間を無駄にしているのはなぜなのか。
毎日、テレビを見て怖がるだけが人生のおわりにやりたいことだったのか?
自分がやりたかったことはなんだったのか、
思い出して行動すべき年齢になっているのに、
それをわきに置いといて忘却のかなたにおいやって、
心配することはいま存在しない仕事のことなんだろうか?
もっと「自分」を見つめて、悔いのない老後を送るべきではないのか。
結局はひとのことより自分のこと。
シニアにこそ「頭のごみをすててもらいたい」のはやまやまですが、
残念ながら、わたしにはそんな影響力はありません。
ひとは変えられないのです。
そうしたら、変えられるのは当然じぶんだけ。
学生時代、なんとなく生きてきてパート主婦になったのだけど、
これからは「どうありたいか」を追求していきたいとおもう。
じつは「どうありたいか」をかんがえるより先におもうのは、
ただテレビをみて怖がるだけの生き方はしたくない。
やってみたいこと、あたらしい小さなことに挑戦して、楽しく過ごしていきたい。
まずは明日、ヨガに行って体をほぐしてくるぞぉ!!