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むすめに勉強させるのに四苦八苦しています。
夫君と「なぜ勉強するのか」話し合った結果、
勉強を放棄しているむすめ。
夫君と一体何を話し合ったのか?
夫君に確認
話の内容は
「なぜ勉強するのか」だったと言っていたのですが、まず導入が「勉強、すき?きらい?」だったのだとか。
なぜ、それを導入に使うのか?
よりによって一番聴いちゃダメなやつ!
だって、勉強したくない子どもに大義名分を与えるようなものじゃないか。
「好き」って答える子が勉強が苦手なわけないし、苦手なら「キライ」って言わないと、どんどん勉強させられる、って考えるでしょうに。
このやりとり、かなりショックというか、何してくれたんだ?っていう気分です。
夫君、ごめん。
でも本当に「勉強させること」について考えてたら、そんな質問したなかったと思うよ?
どうしてべんきょうしなくちゃならないの?
途中まで読みました。
寄り道してべつのものばかり読んでいるので、まだ読み終えていません。
ただ、大筋では賛同します。
「勉強がキライ」と言えるのは、贅沢なことだと思います。
衣食住に不自由せず、勉強に時間とお金を払えるのですから。
どうして、こどもたちが「勉強がキライ」と堂々と言えるようにしてしまったのでしょうか?
これは、大人の責任だと思います。
「勉強好き?嫌い?」という質問も、子どもに「キライ」と言う思い込みを植え付けるのに役立ってしまっている。
勉強って、そう言うものではないと思う。
考える、勉強するのは、人間なら当たり前にすることだと思う。
たぶん、「勉強」の定義が夫君は狭いのだと思う。
学校で机にかじりついて?やる勉強のみが「勉強」だと思い込んでいる。
本当はそんな狭っ苦しいものだけが勉強ではないはずだ。
節約も、倹約も、投資も、資産形成も、メイクも、人間関係も、どんなことでも広義では「勉強」だと思う。
学校の勉強は、その広義の勉強をしていく上で、身につけておくべき基礎学力だと思う。
土台がしっかりしていないと、積み上げたものが簡単に揺らいでしまう。
だから、勉強がいやだとか、嫌じゃないとか、そう言うことではなく、「自然にやっていくべきもの」なんだと娘にはわかってもらいたい。
夫君ともども教育が必要だと感じた数日でした。