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小学生の子供の話です。
小学六年にもなると、勉強もそれなりに難しくなってきて、計算等が面倒になることがあります。
うちのむすめは典型的な計算嫌いです。わたしも「面倒だな」と感じることがあります。
これは六年生の二人の女の子のことです。
仮にAちゃんとNちゃんとしておきます。
Nちゃんは算数が苦手らしく、宿題のプリントはAちゃんが解いたものを丸写ししていました。
分数の計算のプリントでしたが、途中式を書かず、なんとなく計算したように見せかけて提出していました。それを何度かやって、NちゃんはAちゃんのを写すのが癖になっていました。
ところがある日、NちゃんとAちゃんの役割が反対になりました。
今回は分数の割り算です。
たまたまNちゃんがプリントをやってきた日、Aちゃんはやってきませんでした。
いつも写させてあげていたAちゃんはNちゃんに頼みました。
Nちゃんは「いつも写させてもらってるから」と見せてくれました。
AちゃんはNちゃんがやっていたように、計算したふりをして約分したかのように数字を書き入れ、答えを写します。
これが先生にみつかるきっかけになったのです。
どうしてだか、わかりますか?
そう、なんども何度もプリントを写していたNちゃんは、学力が落ちて、ありえないようなミスを連発していたのです。
それをそのまま写してしまったAちゃんは、ふだんはきちんとできていたはずなのに、プリントの半分が不正解だったのです。
ひとつ二つなら偶然もあり得るかもしれませんが、半分も、となるとどんなに鈍感な先生でも気づきます。
結果、AちゃんとNちゃんは叱られ、おまけに宿題を写していた期間、計算を六にしてこなかったNちゃんは、計算ミスにきづけないほどの学力低下を招いてしまったのです。
以前、むすめも答えを丸写しするとう暴挙を働いていました。
なやませてくれましたよ。
いったいこういうのはどこで覚えてくるんでしょうか?
むすめはものすごーーーーーーーーーーーくまじめな性格だと信じていたので、これがわかったときは驚きやらあきれやら、なさけないやら。
かなりのショックでした。
クレープが食べたくて頑張って数十分並んだのに、自分の目の前の人で売り切れになったときのうような・・・
とにかくそれまでのものがすべて無駄だった、と気づいた瞬間ですからね・・・
二度と味わいたくない気持ちですよ。
この時期、勉強時間だと思っていたものは完全なる無駄な時間だったのですよ。
そして、その分をこれから取り戻さなくてはならないのですから、たいへんです。
かけた時間コストに対するパフォーマンスとしては最悪です。
コスパが悪いにもほどがあります。
そうして、自分に返ってくると、下のようなことになります。
一時の不正のハズがなんども積み重なると信頼も学力も地に落ちるわけです。
これを取り戻すのはかなりしんどいです。
いまだに私はむすめを信じていないところがあります。
だから、答えはぜったいに回収するし丸付けはわたしがします。
これはそれまで「答えの丸写し」を許してしまった反省もあるからです。
今現在とこれからの苦労は、これまで楽をしていたせいです。
そのことを本人にも気づいてもらい、これからを過ごしてもらわなくては。
学年末がすこしよかったくらいで気を抜いてはイケナイ。
春休みで一年の復習を終えなくては!!