読み終えました!十二国紀。
はあ、うれしいような、悲しいような (*´▽`*)
小野不由美さん、本当に素晴らしいものをありがとうございました。
今回も、考えさせられました。
特に「行くか、残るか」の究極の選択。
「主を助けたい。」気持ちが強いなら、行くことを選択。
でも、そこには「死」を覚悟しなければならない。
「再起を図る。」なら、行かずに堪える。
どちらもつらい選択です。
ほんっとうに、涙なしには読めませんでした💧
ほかにも、「究極の選択」を考えさせられる物語で印象深いのは
『銀河英雄伝説』です。
昨年だったかな。アニメやってましたね。
すごく進化していて、おどろきでした。
古いほうも見たことあるので、かなりの技術的な進化に、ほんとうびっくりします。
古いほうは、20年くらいまえのものでしょうか。
時間の速さを思い知らされます。
いえいえ、そこではなく、『銀河英雄伝説』の究極の選択は、
「独裁政治か民主政治か」です。
独裁政治は、君主が有能であれば、改革がスムーズで劇的。
しかし、悪くなる時も早い。
民主政治は、話し合いで決めるから、どうしても改革は遅くなりがち。
独裁政治に苦しめられた民衆は、民主政治を望むが、
民主政治になれた民衆は、独裁政治を望んでしまう。
というパラドックス。
どっちがいいんでしょうか?って話です。
私には決めかねますが、
作者の田中芳樹さんの理想は、最終巻なんでしょうね。
これについての小野不由美さんの答えが、
「十二国紀」の世界ともいえる気が勝手にしています。
麒麟が民衆の意向をくんで「王」を選び、
王は不老不死の存在になる。
しかし、民意が離れると、麒麟が病んでしに、王も斃れる。
ファンタジーなのに、究極の政治体制というか、なんというか。
うまい言葉が見つかりませんが、
どちらの物語も、選択の連続でハラハラドキドキしてしまします。
選択の結果が、物語の結末。
当たり前と言えば、当たり前なんですが。
結末に行きつくまでの登場人物の葛藤!そこに、人格が表れますよね。
そして、感情移入して興奮してしまいます💦
振り返ってみれば、私たちもの人生も選択の連続ですね。
あさ目が覚めた時、すぐにおきるのか、二度寝するのか。
受験する学校を選択し勉強するのか、しないのか。
欲しいと思ったものを買うのか、見送るのか。
いらないと思ったものを売るか、持ち続けるか。
どんな選択でも、決断力は必要です。
そして、決断力はウィルパワー✨ともいうらしい。
一日につかえるウィルパワーには、限りがあるそうです。
だから、なるべく大事な決断以外には、使わないようにしたほうがいい。
ちいさな日常的なことには、このウィルパワーを使わずに済むように、
人間は習慣で物事を判断する傾向にあります。
アイスクリームはいつもバニラ、とか、
飲み物はいつも生茶、とか。
そうすることで、重要な決断を下せるようになるらしいです。
でも、ものが多いと、
この決断力を浪費してしまします。
今日着る服、持っていくバッグ、髪型、アクセサリー。
いろんなことに決断力を使ってしまいがちです。
服も、いろいろもつのではなく、
お気に入りを使い倒す、ミニマリストは決断力がありますよね。
あ、そういえば、メンタリストのDaigoさんが、
これのなかで、
「片付けることは、決断力を鍛えることにつながる」
と書いていたと思います。
物を減らす。
減らしたうえで、物を持つためのルールを決める。
ルールを守るときめる。
これで、決断力と管理する労力を節約する。
これをやっていければ、自分では想像もしなかった未来✨がひらけるのかも。
些細な選択でも、正解は自分にしかないのかもしれません。
自分で決められないと、自信をなくしてしまいます。
自信をなくさないように、
自分で決め、選んでいくことが正解で、
他者は正解を持たない。
そういうわけで、ゲームをするか勉強するかは
自分で決めたまえ、息子よ。
その「決めて、動いた」という経験の積み重ねが大事なんです。
人任せにして文句言ってるんじゃありません。
ちなみに、息子が考えた究極の選択は、
「恋人を助けるか、母親を助けるか。」だそうです。
どこにそんな選択を迫る物語があったんだろう??
嫁姑問題か??
そんなことはさておき、
あああああああ、読み終わってしまったああああああ( ;∀;)
短編、お待ちしてます。
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