クリスマスです!
三者面談です!
無事に終わりましたぁ(^^)
入学からの努力が報われた感じがする成績でした。
担任の先生からは、
「とにかく早めの合格をお待ちしてます」と
いただきました。
- 毎年恒例、宝(プレゼント)探し
- 今晩はメインイベントがありますね。
- クリスマスが終わると、娘の宿題との格闘(。-_-。)
- そもそも、なんで勉強ってするんだっけ?
- 最低限、授業についていけるようになること。
- すべて人間は生まれながらにして知らんことを欲す。
- 回数を重ねればできるようになる。
- まとめ、私が勉強してほしいと思う理由
- 関連記事
毎年恒例、宝(プレゼント)探し
今年もたくさんのネットユーザーに(一方的に)ご協力いただいて、
無事に問題を完成させることができました。
いつものことではありますが、
ほんっとうにありがとうございます!!!!!!!
帰宅後、娘と息子には近くのコンビニまでお使いに行ってもらい、
宝探しの準備をして、待っていました😊
夫君もひっかけ問題を作ってくれて、
(流石にもう引っかからなかったけど💦)
お約束、ということで楽しんでもらいました😁
使った問題は、家族の ノートに貼って取っておいています。
わたしは見返すことかないのですが、
娘はたまに見てるみたい。
このノートは、その日のアホな親子の会話とか、
しょうもない夢の話とか、話題になったことを書き留めておくノートです。
みんなでみた映画の感想なども書かせます。
ときには、伝言板のような役目もあります。
何時から何時までは留守にするから、これをやっておいてね。みたいに。
最近はあまり書かなくなってしまったけれど、
残しておくことで、「楽しかったな(*^▽^*)」という気持ちを思い出してもらえたらいいな、と思ってます。
今晩はメインイベントがありますね。
もうすでに、三太の正体に気づいてるでしょうが、
早く寝てくれるのを楽しみにしています。
三太の代役は、すでに眠いです😅
昨日、娘の勉強について夫君と電話で話してたので、
だいぶ遅く寝たんです💧
だから、特に息子には早く寝てもらわないと、
わたしの方が先に寝てしまいそうです😓
夫君がいたらお願いして、先に休むことも可能なんですが、
仕方ありません。
眠気との勝負です。
クリスマスが終わると、娘の宿題との格闘(。-_-。)
娘は六年生の社会があまり得意ではないようで💧
去年まではそれなりに得意科目だったはずなのですが、
「歴史」になったとたん、
現在の自分から隔絶されたもの、というイメージがついてしまったのかも。
なかなか覚えられないみたい。
今日も冬休みの課題をやっていて、ずいぶんと「直し」が発生してしまいました。
去年までにやったものを忘れているのは仕方のないことなのかもしれませんが、
つい先日やったであろう、憲法のことまでが、
すっかりぬけきっているらしいのです。
それで、つい「熱弁をふるってしまった」わけなのですが、
「大人の話は長い・・・」というわけで、右から左でした。
この循環を何度かするたびに、
「なぜ勉強させたいのか?」を自問することになります。
わたしにとっては、「授業中に真剣にきいていれば、ある程度まではできる」
と思っているので、
娘が同じ問題を何度も間違うことが理解できません。
わからないのは、「やりたくない」と思っているからなのか。
間違うたびに説明し、やり直させるのですが、
一体全体、自分は何をしているのだろうか?と考え込まずにはいられません。
「なぜ何度も同じ問題でつまづくのか」
「なぜ言葉を覚えられないのか、覚えようとしないのか」
説明するたびに、またほかの説明をしなければならず、
話はどんどん長くなっていきます。
まるで、英英辞書を引いているかのようで。
(わからない単語の説明の中にわからない単語があって、
またそれを引いて、という無限ループ)
自然、娘の聞く態度は悪くなっていきます。
おそらく、娘の知っている語彙がどのくらいなのか、
私が把握していないせいもあります。(。-_-。)
「聞きたくない」を前面に押し出した態度の娘に、
何を言ったところで、何も伝わりません( ;∀;)
ある意味、勉強好きなのかもしれない、とさえ思ってしまいます。
勉強時間を長くしたい。同じ問題をなんども繰り返したい。
そんな気持ちが出ているのではないか?
そもそも、なんで勉強ってするんだっけ?
将来のため?
わたしは、「一生勉強!!」と思っているけど、
なんで勉強すんだっけ?
わからなくなったら、うちの釈迦志望の息子に聞いてみます。
悟りを開いてもらおう、というのではありません。あしからず。
釈迦については、下のリンクで過去記事を読んでください。
私 「なんで勉強してるの?将来のため?」
息子 「いやあ、いま、隣のあいつに勝つために勉強するんだよ。」
・・・・なるほど。わかりやすいですね。
そして釈迦志望の息子は補足して、
息子 「勉強できるって、ステータス✨じゃね?
ヒロアカ(『僕のヒーローアカデミア』)でも個性の強いやつが強いじゃん」
リアル回答、どうもありがとう。
では娘はどうか?
娘 「ばあちゃんちに行くため」
(冬休みの宿題を終わらせてからくるように、という厳命を受けております。)
そうだよね。
うん、うん、大事だ。
じゃあ、早く身軽になるために、間違いを減らす努力をお願いするよ。
気持ちが回答に現れるんだよねぇ。
やりたくない→適当な回答→直しが大量発生→やりたくなくなる。
では翻って、わたしはどうか?
なぜ、勉強してたんだろうか?
実際、子供の頃は勉強していた自覚はありませんでいた。
「宿題さえやっていればいい」と考えていたからです。
最低限、授業についていけるようになること。
この基準が正しいのかどうか、「ついて行ける」、とはどこまでのことをいうのか、
まだはっきりと言えるわけではありませんが、
先生の言っていることが理解できなかったりしないように、と思います。
とくに全く知らない学校に行くのですから、
私自身は、危機感があるのです。
すべて人間は生まれながらにして知らんことを欲す。
アリストテレスです。
わたしは勉強が面白くて仕方がないんですよ、これが。
世の中には思いもよらぬことがたくさんあって、それを教えてくれる人やものが、山ほどあるんです。
どんなにやっても足りない、と感じてしまいます。
でも、この「知ることの楽しさ」は、大人になってからでしょうか?
いえいえ、小さい子供の頃、
誰もが「あれなぁに?」や「これってなに(どういうこと)?」
など、聞きまくった時期があったと思います。
あの感覚に似ているのかもしれません。
まさに、「人間は生まれながらにして知らんことを欲す。」です。
本を読むことがこんなにためになって、
楽しいとは思いませんでした。
ビジネス書の面白さに気づいたのは最近です。
いままでもったいないことをしました。
ビジネス書は、ピンポイントで自分の悩んでいることの答えを提示してくれているのです!
自分の知らなかったことを知って、
より自分の思う最適解に近づけた。
と感じた時、「勉強してよかった」と思える。
まるで計算問題が正解だった時のように、すっきり!!するんです。
ただ、計算問題と違うのは、正解かどうか、があいまいだったり、
また問題を解く前に戻ってしまっていることがあること。
そして、無駄な時間と労力をさいて、「熱弁をふるう」羽目になるのです💦
回数を重ねればできるようになる。
トランペットのところで、以前書いたと思いますが、
なにかと中途半端になってしまう娘に、何事か「続けていればできるようになる」を
体験してほしいのです。
他社と比べて秀でたものはないので、
教えてあげられるのが「勉強のやり方」くらいなのです。
だから、熱苦しく熱弁をふるうわけなのです。
まとめ、私が勉強してほしいと思う理由
息子はともかく、娘に勉強してほしい理由とは、
①勉強がある程度わかる→授業について行けるようにする
②知ることの楽しさに気づいてもらう
③やれば(挑戦)していればわかってくる。
できるようになっていく。を体感してもらう。
の三つだと思っています。
が、道のりは少々遠いようです💦
わたしの挑戦も続いていくわけです。
関連記事
釈迦志望の話
トランペットの話