はりねずみはころがる。

子育てや教養、その他日々の気づきを書いています。

部外者はだまっていてくれ、と思うとき。

 

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会話の最後が説教なのはなぜですか?

 息子が連休明けに買い物に行きたいのだけど、7日は平日でオンライン授業があるからいけない、という話を始めました。
 
 
当然、土日まで待たなきゃならないよね。が、もし営業自粛が解除されたとして、最初の土日はすごく混みそうなきがするから、もう少し待ってみたらいいのでは?
という会話から、なぜか「どういうときに休講になるか」という話になり、「電車が止まっても欠席扱いになる場合があるらしい」に続きました。
 
 
すると、義母さんは
「そんなのおかしいい!!!そんなわけない!!駅で証明書もらえるんだから!!」と息子に食って掛かります。
息子は「そんなの知らないよ、学校に言ってよ。」と反発。
わたしが割って入って「でも、止まりやすいのは反対側の路線だよね?」というと、なぜか「朝は大変なんだから、特に冬は。ちゃんと起きなきゃダメだ! 遅刻しないように」という説教に発展。
 
 
 なせか、最近の会話は最終的に息子へ説教する方向に行くんですよね。
無理やりでも。
そうするとまた、息子が反発して微妙な雰囲気になって・・・。
 
 
だんだんと義母さんと時間を共有することが減ってきている気がします。
だれだって説教する人のところに近づきたいと思わないですよね。
 
 
 

娘の問題集が届きました。 

もっと早くやり始めたかった問題集をやっと注文し、それが今日、届きました。

 小6の復習問題集がなかなか終わらなかったんですよね・・・とほほ。

 

 

すると義母さん「今の子はたいへんだねぇ、そんなに勉強して。わたしたちのころはそんなにやらなかったよ」 

とのこと。

 

 

わたし「え? でも塾には通わせたんですよね?」

義母「そんなの行ってないよ!!」

わたし「え? 〇もん には行かせましたでしょう?」

義母「あー、それは(下の妹)かな。 毎月来るのはやってたけど。」

わたし「あー、○○ゼミですよね? それよりこっちの方が安いですよ。」

義母「そうなの?!」

沈黙・・・・・

 

 

はぁ。

 

 

うちの娘ちゃんが「そんなにべんきょうして」???

中一なのに、いちにち一時間もやってないむすめにたいして「そんなに勉強して」?

しかも、うちの娘はお世辞にもお利口さんではありませんよ、義母さん。

全国にはもっと勉強している子がたくさんおりますよ。

 

 

わたしはただ「落ちこぼれないでいてほしい」だけです。

上位5パーセントになってほしいとはまったく思ってないのです、むすめに関しては。

だけど、それなりに劣等感を抱きすぎずに授業について行けるだけでいいのです。

目指すは真ん中。可もなく不可もなく、です。

しかし、ここの団地、「学力が高いらしいから心配」って言ってなかった?義母さん??

 

 

しかも、あとで確認したら夫君は塾に通ってましたよ。

それに去年は息子にたいして「○○大学の薬学部にはいれ」とか言っておきながら、いまでは「手に職だ」とか言ってくる。

 

 

主張がころころ変わりすぎてイラついてくる。

なんだこれ?? なにが言いたいの!?

 

 

部外者は黙っててくれ!!

 

 

と言いたい。もしこれで娘が希望をかなえられなかったとしても、親のせいにして自分の言動には責任を取らないことはわかりきっているのに・・・。

口を出すのはやめてくれ。出すのはお金だけにして。

 まじで。

 

 

なぜ、勉強しちゃいけないの?

「勉強しないとおちこぼれるよ」と言ったり「そんなに勉強しなくても」と言ったり。

いや、そもそも子供たちが勉強するしないは、義母に関係ありますか?

ひとのことに干渉しすぎではありませんか?

 

 

義母さんと一番仲がいい下の妹は、「勉強なんてしたことがない」と言います。

 

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 親戚の子、は実は下の妹。

 

 

わたしは勉強というのは一生つづいて当然だと思っているので「勉強させて」とか、「勉強なんてしない」とかいわれることにものすごく抵抗があります。

 勉強して何が悪いの? 世界でも裕福だった国に生まれた特権でしょう?

 

 

勉強にお金と時間を使えるってすっごく恵まれていると思うのです。

こどもたちには「教育を受ける権利」があるんです。習いましたよね? 教育を受ける義務、ではないんです。

義務は親に課せられたものでこどもたちは義務ではない。

 

 

学校の教育そのものが古臭くてこれからの時代に必要ない、という考えの人もいます。 

わたしももっと教育に自由度があったらいい、とは思います。

だからこそ最低限、とおもってやらせるのです。ほんと最低限。

 

 

ただ、 息子には夢があったので、それが実現しそうな高校を勧めただけです。

そしてそこに入るためには、勉強が必要だっただけです。

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自分たちで未来を切り開いていく子供たちが本を読めなかったら、どうやってあたらしい知識を獲得していくことができるのでしょう?

世界から取り残されて行こうとしている日本にあって、学校の勉強をばかにするようで、どうやってこれからを見ていくことができるのでしょう?

どんな教えを取捨選択するとしても、それを見極める目を養うことをどうやって教えるのでしょう?

 

 

オンライン授業やAmazongoを「こわい」と評する人が、どうやって新しい世界をこどもたちにみせてあげられるのでしょう?

 

 

「こわい」と目をそらしていられるのは、申し訳ないけど先が短いからできるんです。

「これから」を生きていく人たちにとって「こわい」のはなぜなのか、どういうときに「こわい」と感じるのかを考えていくのは必須なんです。

だって、こわくてもその時代は来てしまうんですから。すぐそこに。 

 

 

新しい技術やシステムを「こわい」と言って目をそらす人は子供の教育には部外者でいてください。そして口を出すのはやめてください。

 出すのは、お小遣いだけでよろしくお願いします♪

そう!!子供たちに投資しよう!! 「にっぽんの夜明けは近いぜよ」?!

 

 

 

 

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