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むすめが小学生の頃
といっても、ついこの間までの話。
むすめは背が低かった。
小学校低学年のときは、ほぼ真ん中あたり。
小さくはなかった。
それが中学年、高学年と進むにつれて、まわりがどんどん大きくなり、
むすめはみごとに小さい方から二番目にまでなった。
本人はえらく気にしていて、「どうやったら背が高くなるか?」とかなり真剣に夫君に聞いていた。
どうやら「六年生なのに、四年生より小さい」と言われてしまったらしい。
むすこの同級生に
背が低い子がいた。
中学三年のとき、夕方、暗い時間にコンビニにいると、
「小学生は早く帰りなさい」と知らないおじさんに叱られたらしい。
そんなことが何度もあると、かなり自信喪失するらしく「中学生なのに」と何度も言っていた。
こちらからすると、小学生も中学生もかわいいので、心配遺伝子を受け継ぐ日本人なわたしなどは、ちびっこには一刻も早く帰って安心させてほしくなる。
でも、当事者の子供にとっては「子ども扱いするな」という気分なんだろうな。
わたしも中学生のころはそんなことを思っていたから、ひとのことは言えないはずなのに、親になるとどうにも心配性で・・・。
中学生のみなさん、早く家に帰りましょう!!暗くなる前に家についてね。
(昭和の中学生かよ・・・)
いつのころから若く見られると喜ぶ?
高校、大学、社会人になって気づくと、「若く見られる方がうれしく」なっている。
これって「すでに自分は若くない」ということを認めているんだよね。
どうして若く見られるといいんだろう?
欧米では「若く見える」=「未熟にみえる」ということになるらしいけど、日本では、というか、私が知っているアジアの国々では、若く見られることは美徳だったと思う。
そして、若く見える人の方がモテている気がする。
もうモテるモテないは関係ない年齢のような気がするけど、やはり魅力的に見られたいのはいつの時代も一緒だよね。
かくいうわたしも、「若く見られること」を喜んでいた。
が、本当に若い人は~という話を聞いてから、考え直した。
たとえば、職場にわたしより五つ上の人がいるのだけど、「もどれるなら28歳にもどりたい」と言っていた。
わたしもそんなことを思うことがあったけれど、思い返してみると、28歳ころのわたしは未熟どころの話ではなかった。
当時の自分の行動や、考え方を思いだすとはずかしくて、まったく戻りたいとは思えない。子供の頃かいた絵や小説、はたまた卒論に至るまで、むかし創作したものはほぼすべて「恥ずかしくてみたくもない」
いまは本当に学べるツールが充実していて、当時と比べたら私の人間性もいくぶんマシになっているから、すこしは成長していると思いたい。
だから、小学生の男の子に「彼氏いますか?」と聞かれたって、ぜったいによろこばないよ。それに、20代だと思われてたなんて、はずかしくて言えない。
(だってマスクで顔が隠れているせいだもんね)