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以前いたところで、グダグダ会議をさんざんしました。
ミーティングに参加する人数もすくなく、時間もそれなりにとれたので、よく何が何だかよくわからない会議に参加していました。
ミーティングの主題から逸れまくって、結局最後の30分で決める、みたいな会議です。
全体の時間はその三倍は取っているのに、雑談が多すぎて、ミーティングなのか、おしゃべりなのかわからない会議でした。
それというのも、会議を主導する人が「そういえば昔、」みたいに昔話を始める人で、昔話でなければ、こことは別の地方の話だったりして。
ほんとうに時間の無駄ばかりしていた気がします。
わたしは今も昔もペーペーなので、発言権もなく、聞くばかりで何かをできることもすることもありませんでしたが、効率重視の今の世の中で、もったいない時間の使い方をしていたし、なんとなく「そういうもの」というある種のあきらめというか、視野狭窄というかを持っていました。
義務教育のときから、私たちは「学級会」という会議に出ている。
考えてみると、わたしたちは小学生の時から「学級会」というグダグダ会議に参加してきた気がします。
とくに学級委員を決める会議は長いうえになかなか決まらず、ほんとうに苦痛でした。
いまでもPTAの役員を決める会議はこれと同じです。
はやく時間が過ぎて、だれかが言い出してくれないか、とみんなが思っている(と思います)会議です。
わたしたちは子供のころからこんな感じの会議に参加し続けてきて、
「会議とはこういうもの」みたいな既成概念ができあがっていませんか?
学級会だけではなく委員会の集まりについても「なんのための会議なのか」「時間配分はどのくらいか」を参加者が理解できないまま、なんとなく過ぎていく会議たち。
会議の進行をしている学級員や各委員長も、担当の先生でさえ、「気持ちの良い会議」を経験することは少ないと思います。
『世界で一番やさしい会議の教科書』
わたしのように気持ちの良い会議に出たことのない人に、これをおすすめします。
とくに学校の先生たちに読んでほしいです。
実はわたしは今、学校にお手伝いに行っていますが、職員会議がほぼほぼ「決まったことを連絡する」会議なんです。
わたしが出た職員会議は、資料を読み上げる時間がほとんどで議論されることはほぼありませんでした。
その連絡伝達会議に週一時間、年度末になると週二時間から三時間は取られています。
資料を渡すだけでは認識が共有されないことは多少わかるのですが、
一週間の予定を確認するだけのために、そんなに時間を割く必要はあるのでしょうか?
そこを何とかしないと、先生たちのブラック企業顔負けの拘束時間は改善されないのではないか、と思います。
そして、先生たちには「グダグダ学級会」の改善も求めます。
もしかしたらすでに改善を成功させている学校もあるかもしれませんが、私の周りでは聞いたことがないので、ぜひ、これを実践してほしいです。
うちのむすめにも読ませて挑戦してほしいくらいですが、こればっかりは・・・
武闘派のむすこなら、もしかしたらこういうの面白がってやってくれるかもしれません。どうにか機会があることを祈っております。
でもなぁ、むすこはこの本に出てきた水口課長みたいに脱線させる方が得意かも。
この本の良いところは、改善していくプロセスが物語になっているところでしょうね。
やはりストーリーが語られると、すんなりと頭に入ります。
そして、改善されていく会議に参加する臨場感とワクワク感が味わえます。
あまりにも面白くて、わたしはバスを乗り過ごすところでした(;^_^A
あぶない、危ない。
とても面白くためになる本なので、まだ読んでいない方に、強くお勧めします。
この本が教科書になって、日本中の学級会が変わったら、日本全体もものすごーーーーーく有意義な会議をする気持ちの良い国になりそうですよね。