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ちょっと腰をやってしまっているので、短めに
おととい、ちょっと重いものを持ち上げてはこんだら、
翌日、腰が痛くて痛くて、
今日も恐る恐る娘ちゃんの病院へ行ってまいりました・・・
定期的にやりますね、ほんとうに。
そんなわけで、今日はいつも以上に簡素な文章になると思いますが、お付き合いください。
懲りないのは、わたしの責任か・・・
つい先日、答えを丸写ししていた娘ちゃん。
懲りずにまたやりました・・・。
ほんとうに凝りませんね。
今回は、前日にやったものを丸写しし、そして、新しいところは答えを丸写し。
途中計算どころか、文章問題の式さえも書かないというスゴ技。
これでばれないと思うところがすごい。
いや、なめられてるだけなのか?
ぐうの音も出ないよう、娘ちゃんにその問題を目の前で解かせてみました。
当然できません。10分程度がんばっていましたが、
「やっぱりね」という状態。
そして説教
当然、説教なわけですが、こんなにも答えを丸写しするのには何かしら理由があるのかもしれない?
どうにも娘ちゃんは、「勉強はつまらない、わからないもの」という意識が強い気がする。
こんなもったいないことはない。
日本という恵まれた土地に生まれて、衣食住にも困らず、勉強することができることがどんなに恵まれていることなのか、話して聞かせても、「うるさい」くらいにしか思わないんだろうなぁ。
マンガもYouTubeも当然、楽しい。
でも、その中で自分が知っていること、ひと、地名が出てくるのもなかなかおもしろいものです。
それは、「つまらない」と思っていた学校の勉強と、いま読んでいる漫画本が意外なところでつながったりすると、喜びも倍増します。
それに、新しい知識をつけるコトの楽しさを知ってもらいたいのですが、なかなか思うようには行かないものです。
いつもなら、「自分のため」に勉強することを意識させるのですが、
今回はすこし視点を変えることにしました。
それは、
人生には答えなんてない。答えのある勉強は難しくない。
ということです。
むすめは、友達との関係で疲れたということをよくいいますが、
その時の自分がどうしたら正解だったのかは、「わからない」といいます。
わたしも分かりません。
ついでに言うなら、娘にどのくらいの勉強量を要求すべきか、も分かりません。
答えなんてないんです。
自分で見つけない限りは。
いまやっている問題集はさほど難しい問題はありません。
問題文を読んで即答しろ、という気もさらさらありません。
しかしながら、このままごまかし続ければ、普段の問題集の正答率と、テストの正答率がかけ離れたものになることは間違いありません。
こりゃ、いかんでしょ。
答えうつしの原因を考えると、いろんなことが浮かんできて、気持ちが滅入るので、
「小さいころに手をかけなかったから、いま手がかかるのだ」ということにします。
(答えは自分で用意します。わたしの人生なので)
そして、むすめと改めてやくそくしたのは、
1、答えをみたら赤ペンで書く
2、わからない問題はいっしょにとく。
3、もっと勉強を面白がる。
の三つです。
数学の文章問題を解こうとしない娘には、絵を描かせる方がよい気がします。
分かったことを「見える化」する。
それから、式を考えさせる。
たまには落書きもして、たのしい時間にする。
ちょっと長い道のりになりそうですが、自分で勉強できるように、いしょyになって考えていこうと思ったのでした。
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