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仏壇を購入するらしいです。
義母さんは30万前後の仏壇を探しているみたい。
仏壇って、必要ですか?
と問いたいくらいだけど、そこはわたしの親ではないので、黙っておきます。
そもそもお寺に対する信心なるものが薄ーい私たちに、仏壇は必要でしょうか?
こんなこと言ったらお寺さんに怒られるかしら?
核家族化が進んで、仏壇もお墓も縁遠くなっている私たちとって、特定のお寺を選んで、お金を寄付し続けるのは難しい。
現に、義母さんたちの話には、お墓を購入する相談の時も、仏壇についての相談の時にも、お寺さんに寄付する金額についての話ばかり。
そもそも寄付したい、と思えないのであれば、そこを選ぶのはやめたらいいのではないだろうか。
寄付する金額が大きいからあそこはダメ。とか、金額が小さいからよいお寺、とか。
なんか本末転倒な気がする。
信仰心をお金に換算するのも違う気がするけど、お金で宗派を選ぶのも違うとおもう。
庶民の感覚にまで宗派の対立っぽいのを見かけると、なんかへんじゃない?って思う。
そもそも、お金以外の「宗派の違い」を確認してるんだろうか?
義母さんは自分の実家のそばのお寺さんと同じ宗派のお寺さんがいいみたいだけど、それすら「寄付が少なくていいから庶民のみかた」みたいな判断基準しか言ってこない。
それでは、なんだかそもそも宗教ってなに?みたいな疑問を持たずにはいられない。
仏壇には「精入れ(しょういれ)」なる儀式が必要らしい
義母さんは「魂(たましい)入れ」と言っていたけど。
義母さんが仏壇の購入を考えているらしいので、さっそく「仏壇の処分」をググりました。
最近では、買うよりも処分の方が大変だからね。
それによると、菩提寺?に「精抜き(しょうぬき)」をしてもらってから処分になるらしい。
仏壇の販売業者でもやってくれるらしいけど。
仏壇ってけっこうおおきいんだよねぇー。
場所取るし。
これから、人口が減って土地が余るからデカくてもいいのか?
しかし、この家のように病院もコンビニもスーパーも遠いと、バスに乗らなきゃならなくて、年齢を重ねるごとに面倒になっていくんだよね。
現に義母さんは、こどもたちが迎えに来てくれるのをいつも待っている。
わたしは、ここに一生住みたいとは思わない。
この家のように広いところはこどもを育てる環境としてはいいけど、年寄りが住むところではないと思う。
いや、「何かあった時は、潔くあきらめる」という覚悟があれば気にならないのかもしれない。
それでいうと、わたしより義母さんの方があきらめ悪そうだけどね。
買うときには、処分するときのことを考えよう。
義母さんはたぶん考慮しないだろうけど、わたしは捨てるときのことも考えておきたい。実際、物を捨てるのは本当に大変になってきているから。
義母さんは「そのうち物を買えなくなる」と言っているけど、たしかに「買えなくなる」のかもしれない。
だって、捨てるのが大変だから。
捨てることを考えなきゃならないと、買うのもほどほどにしないと。
義母さんが言う「買えなくなる」は、日本という国が貧乏になっていく、という予想のもとに発したことばだろうけど、わたしはモノの処分ができなくから、買えなくなると予想する。
じつはそんなに必要ではなくなる、というのも考えられるけど。
テレビだって、スマホに乗っ取られそうですし。
DVDプレーヤーとかも必要なくなってきたし、
本だって、スマホでよめるし。
考えてみると、淘汰されてきたものって結構あると思う。
そんなわけで仏壇を選ぶ義母さんをよそに、処分のほうほうを模索する嫁なのでした。